久しぶりにちょっと堅い話題ですが、本来のこのブログ立ち上げの趣旨である、主食について書いてみたいと思います。それはお米の価格、と言う問題です。これは日本の農業にとっても、生活者にとっても、またこれを扱う流通業者にとっても大変重要な問題です。
実は先日、日本一の六条大麦の生産地である福井県に伺ったときのことです。私は大麦の話ばかりしておりましたら、12月1日に谷垣政務調査会長始め政治家の先生が多数お見えになって、産地視察やら現場の農家の声を聞く催しがある、とお聞きしました。自民党としてこれからの農業政策をどのように考えていくか、選挙も絡んで重要な局面にあると認識しているのだなと感じたのですが、一方でその結果としてまた「バラマキ型の農政」に逆戻りするのではないか、という危惧も感じたのが事実です。
今回急遽発動された「政府米34万トン+10万トンの餌米買い増し」も、選挙対策のにおいのするものでした。結果的には生産者サイドのお米の価格は上がり、流通業者は悲鳴を上げています。結局スーパーサイドの価格が上がらなければ、そのしわ寄せは中間業者に来る構造となっているのです。
短期的には補助金や緊急対策で農業を支援していくことの意義はあると思いますが、基本的には日本の農業がしっかり採算が取れ、事業として成り立っていく方向性を政策として目指すべきである、と思っています。しかしそういう体質に変わるまでどうしても時間もかかるし、構造改革ですから痛みも伴いますし、不安も伴います。それを乗り切る前に、また昔の居心地の良い世界に戻ってしまう、ということを繰り返してきたのが日本の農政ではないかと感じています。
もう一つ危惧を感じたのは、減反政策に代表されるこれまでの仕組みがいよいよ限界に来ているのでは?、ということです。そしていよいよ農業に従事する人がどんどん減って行き、田圃が荒れ、農村や田舎が壊れていくのではないか、という恐怖感です。福井県は減反政策に忠実な県なのだそうですが、そういう県の農協組合長レベルから「作る自由、売る自由というならば、この減反に従っていく事はもう我慢できない」という悲鳴にも似た声が上がっている、ということでした。結局これにしたがっている農家が損をする、ということなのでしょう。
もしこのように減反を止めて、作りたいだけ作って、皆が売り始めたら・・・・。きっと生産過剰がさらに加速し、もっと米の価格は下落するでしょう。そして農家はもっと苦しくなり、結局止めていく、という決断をせざるを得なくなり、一気に農家が減ってしまう、ということが起きてしまうと思いました。でも農家一軒から見れば、これだけ米の価格が下落するならば少しでも多く作って売った方が得ではないか、と思いたくなる気持ちもわかります。
やはり元凶は米の価格の下落ではないかと思っています。世界の穀物は非常に逼迫して小麦も以前の3倍の価格をつけています。また良質な小麦の確保が国家貿易ですら危ぶむ声が出るほどの状況なのです。それなのに決してコストの安くない日本のお米はどんどん価格が下がっています。おかしな話です。生活者はこのことを知らないのではないでしょうか。
私が申し上げたいことは、今の生活者が農業を疲弊させて、もしかすると農村を破壊しかねない、本当にそんなに安い価格しかお米を買わない、ということがあるのでしょうか。どうも流通サイドに問題があるように思っています。つまり価値の競争ではなく、価格の競争で販売を増やそうとしている、ということです。もっと生活者はお米の事をキチンと知って、その価値を認めれば、もっと高い価格でも喜んで買っていただけると信じています。最近の食育という問題においても、美味しい納得したお米を家でキチンと炊く、ということが何よりも優先されるべき食育ではないかと考えている一人です。
この国の根幹をなす田圃の再生産を確保するためにも、もっとお米の価値を創造し、伝え、生活者に喜んで買っていただける構造を作る努力をお米に携わる人間が皆でやらねば本当にこの国の農業は危ない局面にある、と私は思っています。自分も米穀卸の社長として本当に何をやらねばならないか、責任を感じているところです。




私は、単価だけで家族の口に入れる食べ物を選んでいると思っていませんが、スーパーで購入するお米のブースの前では、残念ながら思考が止まり、価格でしか判断出来ない状態になります。それは、お米の売りが、「価格」で表現されているから。
全ての農産物に言えることなのかもしれないけれど、話せない農作物の代わりに、誰かが、何かが語ってくれないと、判断するものがない。
シンプルに考えれば、規模はおいておいて、作り手と食べ手がいれば、生産は続けられると思うんです。
だから、生活者にとって、流通は手段の一つに過ぎないと、私は思います。既存の流通に疑問を持つから、間を飛ばして分かりやすくなりたいと思うのが、直売所の流行る理由だし、ネット通販が増える理由なのでは?
流通にも役割があることは分かるけれど、語る人を育てずして、お米だけを売ろうとしたから、お米そのものの魅力が半減してしまったのだと、思う。
これは、お茶の世界と、全く同じ。流通は良い食べ物を選ぶための、手段の一つ。良い食べ物を選ぶためのサポートが出来ないのならば、自力で探して繋がる人たちが、これからもっと増えると思います。
和穀の会さん、頑張ってください!生意気言いまして、申し訳ありません。お米、大好きです♪
でも、きっとお茶よりもお米の方が、良い意味で、先を進んでいると思います。
ゆうさん、いつもコメントありがとうございます。
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流通にも役割があることは分かるけれど、語る人を育てずして、お米だけを売ろうとしたから、お米そのものの魅力が半減してしまったのだと、思う。
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ゆうさんのおっしゃること、正にその通りだと思います。お米の持っている魅力、価値を伝える努力を怠ってしまったから、今お米は価格でしか売れなくなってしまったのだと思っています。
でもそれに気付き始めた方もこの業界にいます。そういう人が、価値の競争をして、お米の多彩な魅力を伝えられたらきっと流れは変わる、と信じています。