いつかこのブログに書かねばならない、と思っていたことがあります。それは7年前に亡くなった我が親友、浅野徹君のことです。大学ラグビー部の同期で、本気で喧嘩もするけれど私が真正面から本気でぶつかっていける奴でした。不器用だけれど、目標に向かってまっすぐで、大きな心を持って、友達想いで、努力家で・・・、ちょっと誤解されることもあるけれど、裏表のない本当に良い奴でした。大きな可能性を感じさせる奴でした。
彼は三井物産の名古屋支社に勤めていた時期に、残業した後の深夜に車で帰る際に信号無視をして突っ込んできた車に横転させられ、腹部を強く打って亡くなってしまったのです。よく”馬並みの体力”といわれていたあいつが、死ぬということが信じられませんでした。命が残っていれば、どんなに重症でも絶対に回復しただろうに、と本当に残念に思ったことを思い出します。
実は先週の金曜日、名古屋へ行く出張があり、時間が出来たので当社の営業所から近くの彼の実家へお線香を上げてきたのです。名古屋出張の時に時間が出来たときには寄らせてもらうのですが、今回もちょうど彼の命日が6月末だったこともあり、少しの時間でしたが、お邪魔してお父さん、お母さんに会ってきました。
玄関を開けると、彼の妹・順子さんの長女”七海(ななみ)”ちゃん(もうすぐ5歳)が迎えてくれて、びっくり。お母さんと話をしていると、今度は長男の大河くん(2歳)がお昼寝から起きてきて・・・。にぎやかなこと、にぎやかなこと。お父さんもややグロッキー?そしてお話を聞けば、その前日に順子さんに3人目のこども(女の子)が生まれたとのこと。こういう縁にも驚きました。順子さんが結婚してすぐに浅野が亡くなってので、彼はこの子供たちを全く知らないんだよなあ。でもこうして新たな命が、続々と生まれて浅野家をにぎやかにしていることへの安心と、彼が知らないという残念な気持ちが入り交ざりました。
そしてお父さんと1時間ほどお話をしたのですが、私の会社の応援するヴァンフォーレ甲府がJ1へ昇格したことや、関東ローカルでCMを放映していること、4月にコーポレートマークを新たにしたことなどをお話しすると、うれしそうに聞いてくれているのですが、そこに一抹の寂しそうな表情が伺えました。それはそうだろうなあ、と思いました。たった一人の自慢の息子、将来楽しみな息子がいたのに、突然いなくなってしまたのだから。そして彼の将来をどれだけ楽しみにしていたことか。
人生はあるときは本当に残酷だなあ、と思います。前途洋洋たる浅野の人生を一瞬で奪い、彼の両親や関係者を悲嘆に暮れさせること。一体、彼が何をしたと言うのか・・・。でも起きてしまったことを受け止めねばならないのが、生きていくものの宿命なのでしょう。私は今でも時々”あっ、浅野がそばにいるんじゃないか”って思うことがあります。だからきっと彼は私のそばに居るんじゃないかと本気で思います。あいつとは本当に真剣に付き合ったから・・・。あいつにはいろいろと教えてもらったから・・・。遅かれ早かれ我々も死ぬのだし。浅野の分まで十分に人生を生きなければ、と心に誓うことで私はあいつの死を自分なりに整理しています。浅野よ、永遠なれ! 合掌。




きょうはお目にかかれて感謝しております。
ありがとうございました。
親友のこと、お気持ちよく理解できます。
実は私も大学時代の親友を30代のときに亡くして
おります。私の友人はがんでした。
さまざまなことを教えてもらったり助け合って
時間を共有していたのにあっという間に命を
奪われてしまいました。やはり残された奥様や
子供さんたちが一時とても不憫に思われました。
また自分もショックでしばらく呆然としていたのを
覚えています。でも時間が解決してくれるのに
任せるしかありませんでした。
社長のおっしゃるとおり、親友がいなくなっても
そばにいたり、気持ちの中に生きているということ
ですよね。私の心の中にもずーっと生き続けている
ような気がします。
私には友人の分まで生きるなんてかっこよくいえ
ませんが、少なくとも生きることの大切さは
人一倍感じていると思います。
内藤社長、心のこもったコメント、ありがとうございます。人生の先輩からこういったコメントをいただけること、恐縮しております。
私も彼の死を知ったとき、人生の意義の大きな大きな一つとして友の存在があると思いました。人間には絶対的な価値なんてないんだから、そういう仲間の存在によって自分も生きている意味があるのでは・・と。もし信頼できる友達が一人も居なかったらこの世に生きている意味なんてあるんだろうか、と思ったのを覚えています。
これからは内藤社長のブログもちょくちょく拝見させてもらいますね。ホッとできる素敵なブログですね。